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2011年7月29日金曜日

◇平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について


 「私と別れ際、藤田は『美術館の屋根は、ランス礼拝堂のような採光の形式にしてくれ』と注文をつけた。私は、それを忠実に守った。平野美術館の特徴ある丸窓は、このためだ。藤田は、スケッチをくれた。これが最後の対面となった。」

 平野政吉は、1983年(昭和58年)1月12日に朝日新聞に掲載された「聞き書き わがレオナルド藤田」の中で、1966年(昭和41年)に美術館建設の報告を兼ね藤田に会いに行った際の様子を語り、藤田にそう助言されたと語っている。
また、秋田県内の財団法人発行の雑誌の中で平野政吉の対談が掲載されており、同様に、藤田を訪ねた際、美術館の屋根はランス礼拝堂のような採光のとれる丸窓にしてくれと言われ、宮殿造りのギリシャ式柱廊の美術館に丸窓をつけて画伯の心を忠実に表わしたと語っている。

 藤田は、自らの画業の集大成として、フランス、ランスの「平和の聖母礼拝堂」の設計、壁画、ステンドグラスの制作に取り組み、1966年(昭和41年)10月に完成させているが、その壁画制作に入る直前に、平野政吉は藤田に会い、美術館の採光方式をアドバイスされている。

 1968年(昭和43年)1月29日、藤田はスイス、チューリッヒで亡くなったが、今は生前の藤田の希望により、自ら設計したランスの「平和と聖母礼拝堂」に眠っている。

 平野政吉は、美術館をこのランスの「平和と聖母礼拝堂」と同じ採光形式にするよう、藤田に託されており、現在の平野政吉美術館は、ランスの「平和の聖母礼拝堂」に通じる、藤田の魂が込められていると言える。また、「平和の聖母礼拝堂」に描かれた藤田の最後の大作であるフレスコ壁画と同じように、大壁画「秋田の行事」には柔らかな自然光が降り注がれている(注)。

 世界で最も著名な日本人画家、レオナール・フジタ(藤田嗣治)が深く関わった建築物は、フランス、ヴィリエ・ル・バークルの住居兼アトリエであった「メゾン・アトリエ・フジタ」、ランスの「平和の聖母礼拝堂」があるが、日本では、平野政吉美術館以外にあるだろうか。  

 平野政吉美術館(秋田県立美術館)は、千秋公園の緑に溶け込んだ佇まいの中に平野政吉とレオナール・フジタ(藤田嗣治)の交友の歴史を示しており、貴重な秋田の文化遺産として後世に残すべきである。


(注) 当ブログ著者が、2011年(平成23年)12月6日、平野政吉美術館にて確認したところ、美術館の屋根の丸窓から展示室に降り注ぐ自然光が、現在、設置された仕切りで遮られています。藤田嗣治が助言した自然光の採光形式にすべきと考えます。



<お薦め記事>
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平野政吉美術館の移転理由は何か 1
平野政吉美術館の移転理由は何か 2
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美術館と自然光 … 1
美術館と自然光 2 … 軽井沢千住博美術館の場合




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2011年7月16日土曜日

平野政吉美術館の移転理由は何か 2


 また、県議会において、再開発地区への移転が「秋田への観光客誘致の一助に資する」という、藤田と平野の理念に合ったものだと言う議論もあったが、誤った論理である。秋田への観光客誘致の一助に資するために、恒久的な場所として、千秋公園の入口の最高の場所である現在の場所に現美術館が建てられたのである。
 さらに、近年、東京などで開催された藤田嗣治巡回展に比べ、平野美術館の入館者が少ないことを問題視し、移転が必要だという議論もあった。2010年国勢調査の結果によると首都圏(1都3県)の人口は35,623,327人であり、秋田県人口は約32分の1の1,085,878人にしか過ぎない。単純計算で見ても秋田市にある平野美術館の100人の入館者は、首都圏の3280人に相当し、入館者が少ないとは決して言えないはずだ。
 没後40年レオナール・フジタ展などが多くの観客を動員したのは、企画が優れていたことによるものだ。全国紙新聞社、テレビが主催し、大企業の協賛、外務省やフランス大使館などの後援を得て企画された展示会である。秋田県単独では多くを望めるわけもなく、自己満足的なものしかできないと思われる。

 平野政吉美術館の移転の理由とされるものは、合理性に乏しく、特定の考えを持った人達だけが利するような移転計画に思える。また、美術館は、訪れた人々が美術作品と向き合う場所であることが忘れられ、にぎわい創出と結びつけられている。
 この移転計画は、当初より、平野美術館を移転させ、跡地に他の施設(千秋公園内にある佐竹史料館)を移転させることを目的とした計画であったことが明らかになっている。当時の県会議員のブログにも示されている。現在では、平野美術館の建物を残すべきだと言う市民、県民の声が高まったことにより、方向を変え、平野美術館の建物だけを残し、建物に他の施設を移そうという目論見に変化している。(県議会において佐竹史料館、美人会館の名が出されている)
 このような移転計画は人間としての道義に反するものではないか。

 平野政吉美術館は、藤田嗣治作品を始めとした美術品の収集に全生涯をかけ、「秋田」の地に収集した作品を残そうとした平野政吉の人生の終着点であり、業績の集大成である。美術館の屋根にある採光のための丸窓は平野政吉が藤田の助言を忠実に守った証であることを平野政吉は明言している。そして、この平野政吉美術館には、レオナール・フジタ(藤田嗣治)の最後の作品であるフランス、ランスの「平和の聖母礼拝堂」に通じる藤田の尊い思いが込められている(注)。

 平野政吉美術館はこれまで通り、平野政吉が収集した「秋田の行事」を始めとした藤田嗣治作品を保存、展示、公開する美術館として存在し続けることが、本来の在るべき姿であり、藤田嗣治作品と一体になって、秋田の世界に誇れる文化遺産としての価値を高めるに違いない。



(注) 当ブログ著者が、2011年(平成23年)12月6日、平野政吉美術館にて確認したところ、美術館の屋根の丸窓から展示室に降り注ぐ自然光が、現在、設置された仕切りで遮られています。藤田嗣治が助言した自然光の採光形式にすべきと考えます。



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2011年6月19日日曜日

平野政吉美術館と一体である藤田嗣治作品


 平野政吉美術館に収蔵されている作品は、すべて平野政吉が生涯をかけ、財力の全てを費やして収集した作品である。藤田嗣治作品は101点あり、これだけの数の藤田作品を収蔵している美術館は世界でも稀であるとのことだ。 
 この平野政吉美術館から、藤田嗣治作品だけを切り離し、移設させようとする計画がある。進めている人たちは、世界的に著名な建築家、安藤忠雄氏設計の建物と藤田作品で街の賑わいに繋げたいと主張しているようだが、安藤忠雄氏設計の美術館は全国に相当多数ある。主なものだけで、香川県直島地中美術館、広島県尾道市立美術館、岡山県成羽町美術館、兵庫県立美術館、京都府大山崎山荘美術館、長野県小海町高原美術館、調布市東京アートミュージアム、国際芸術センター青森などがある。近年は中東にも進出している。(アブダビ海洋博物館、バーレーン遺跡博物館) 昨年も山梨県北社市に美術館(光の美術館)が造られている。全国的に見た場合、話題性があるわけでも、希少価値があるわけでもない。また、美術館を賑わいと結びつける発想が貧困なものに思える。
 さらに、秋田で計画されている建物は、2階部分屋上にプールのような水槽を造るとのことだ。安藤氏の作品によく見られる「水」を題材としたものであり、藤田嗣治作品との関連性は全く見受けられない。

 平野政吉美術館(現秋田県立美術館)は、藤田嗣治と物心両面の深い交友があった、稀有な秋田の先人、平野政吉が「秋田」の地に収集した作品を残すために、多くの困難を乗り越え、29年の歳月を費やし完成させた美術館である。そして、レオナール・フジタ(藤田嗣治)が最後に制作したランスの「平和の聖母礼拝堂」に通じる藤田の理念と尊い思いが込められている美術館である。 
 平野政吉美術館(現秋田県立美術館)と藤田嗣治作品は一体であり、この美術館こそが唯一の平野コレクション、藤田嗣治作品の保存、展示、公開の場所といえる。これからもこの平野政吉美術館を秋田市民、秋田県民、国内や世界中の藤田嗣治ファンや美術を愛好する人々が、藤田嗣治作品を鑑賞する場として、世界に誇れる秋田の文化遺産として、末永く後世に伝えていくべきである。



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